『私たちは死の心配によって生を乱し、 生の心配によって死を乱している。』
- ミシェル・ド・モンテーニュ
- 1533/02/28-1592/09/13
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- このような対比させる言い方で物事を分かりやすく理解させてくれる。この人の特徴の一つなんだろう。しかし、若干、無理やりの印象も残る。
- 変化はリスクであるがチャンスでもある。変化は不安と希望を秘めている。特に、生と死という究極のテーマは人間を乱す。
(ミシェル・ド・モンテーニュの他の言葉)
- 賢者は、生きられるだけ生きるのではなく、 生きなければいけないだけ生きる。
- 運命は我らを幸福にも不幸にもしない。 ただその種子を我らに提供するだけである。
- いつかできることは、すべて今日でもできる。
- 私達は竹馬に乗っても何もならない。 なぜなら、竹馬に乗ってもやはり自分の足で歩かなければならないからである。 そして、世界で一番高い玉座に上っても、 やはり自分の尻の上に座っていることに変わりはない。
- 私たちは死の心配によって生を乱し、 生の心配によって死を乱している。
- もしも人から、なぜ彼を愛したのかと問い詰められたら、 「それは彼が彼であったから、私が私であったから」と答える以外には、 何とも言いようがないように思う。
- 他人のために暮らすのはもうたくさんだ。 せめてこのわずかな余生をみずからのために生きようではないか。
- 美しい女にはやがて飽きがくる。善良な女には決して飽きはこない。
- 真の友愛においては、 私は友を自分のほうにひきつけるよりもむしろ自分を友に与える。
- 孤独の生活の目的とは、もっとゆうゆうと、 もっと気ままに暮らすというただ一つであると私は信ずる。
- もしも私がこの人生を繰りかえらねばならないとしたら、 私の過ごしてきた人生を再び繰り返したい。過去を悔やまず、未来を恐れもしないから。
- どこで死が我々を待っているか分からないのだから、 いたるところで待とうではないか。 死を予測するのは自由を予測することである。
- 恋が強烈でないのは恋の自然に反しており、 恋が変わりなく続くのは、強烈であるべき恋の自然に反している。
- 結婚は鳥カゴのようなものだ。 カゴの外の鳥は餌箱をついばみたくて中へ入りたがり、 カゴの中の鳥は空を飛びたくて外へ出たがる。
- 人間の細部において個別に判断するものこそ、もっとも真実を言い当てるだろう。
- 純朴と純真な真実とは、いかなる時代においても時と場を得る。
- 私は私の意見を述べる。それがよい意見だからではなく、私自身の意見だからだ
- この世には、勝利よりも勝ち誇るに値する敗北がある
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