『生まれた所や皮膚や目の色でいったいこの僕の何が分るというのだろう』
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歌も人も知らない。言葉は歌詞の一部らしい。
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言葉の意味。言葉が問いかけるもの。なかなか簡単でない。
人は、特に初対面の人は、皮膚の色(人種?)や、言葉の訛りや方言(出身地?)や、着ているもの履いているもの持っているもの、言葉遣い、年齢、性別、連れがいれば連れの人のそれぞれがチェックされる。
時間を掛けてやり取りするようになれば、職業、趣味、教育、家族、生い立ち、友人関係、居住地、宗教、電話番号、メアド、など多くの情報が入ってくる。
でも、少年。どれだけ情報が入ったからと言って人(人格?)の何が分かるのだろう。
でも、少年。君自身が君を分かっているのか?。そもそも分かるって何?
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やっていることは単純だよ。タグをつけて識別しているだけだ。人にはシリアルナンバーがないから多くのタグを使って識別をより確実にしているだけのことだ。
もう少し言えば、類型化していることも加わる。類型化による集団の特性を実際に持っているかどうかに関わらずベースの情報として特性有と見做すことはあるだろう。ケニアの人はみんな足が速いと思うようなものだ。
いくら識別を確実にして、特性を詳細に把握したからと言って、その人が分かったと言えるのだろうか?
彼自身気付いていない思考の奥の思考。 それが暴かれても納得はしないだろうね、
それとも、
同情してほしい。受け入れてほしい。信じてほしい。理解してほしい。他の人と同じように見てほしい。あれこれ質問しないでほしい。
分かるとは何か分からないが、とにかく、分かった振りをしてほしい。そういうことだろうか。
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人は生きていくうえで、相手が動物であれ植物であれ、身を守るためには瞬時に 相手を識別して、どのような対応が必要か判断しなければいけない。人が地球を支配した後は、相手には人間が加わってくる。それが一番厄介だ。
少年が危険な存在かどうか瞬時に判断して安全と確信を得るまでは距離を置くのは普通のことだよ。現代社会では自分がどのように見られるかを意識しないと、一見不当な扱いを受ける。少年は幼くて現代人の常識をまだ身に着けていなかったのだろう。
幼さ(愚かさ)の証拠がタイトルの言葉なのだ。
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