『私は大部分の時を孤独で過ごすのが健全なことであるということを知っている。 最も善い人とでも一緒にいるとやがて退屈になり散漫になる。 わたしは独りでいることを愛する。 わたしは孤独ほど付き合いよい仲間を持ったことがない。』

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『私は大部分の時を孤独で過ごすのが健全なことであるということを知っている。 最も善い人とでも一緒にいるとやがて退屈になり散漫になる。 わたしは独りでいることを愛する。 わたしは孤独ほど付き合いよい仲間を持ったことがない。』
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  1. 孤独を愛する人とでもいうのだろうか。
  2. 本当の孤独を知って孤独を愛するなら大したものだがいつでも孤独から抜け出せる人には本当の孤独は分からない。
  3. 孤独の先にあるのは絶望。光が当たることはない。

『ウェディングケーキはこの世で最も危険な食べ物である。』


『ウェディングケーキはこの世で最も危険な食べ物である。』
  • アメリカの諺
  1. 果たしてアメリカに諺があるのかどうか怪しいものだが。
  2. 危険な食べ物に群がる人は少なくない。危険だから美味しいとも言える。


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『真の友愛においては、 私は友を自分のほうにひきつけるよりもむしろ自分を友に与える。』

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『真の友愛においては、 私は友を自分のほうにひきつけるよりもむしろ自分を友に与える。』

  1.  ”自分を友に与える”ってどういうこと。ちょっと気持ち悪い。献身的に振る舞うということかな。
  2. ”友を自分のほうにひきつける”も分かり難い。
  3. 友愛なんて面倒くさくて恥ずかしくて分かり難いものだね。

『「妥協して結婚」した人の半分は後悔している』

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「妥協して結婚」した人の半分は後悔している
  1. 名言というものではないがなかなか含蓄がある統計結果だ。本当にそうかな。
  2. 結婚が目的なら妥協は避けられない。「妥協」は最高の一致点を追及することだから本来後悔などあり得ないのだが、最高の一致点を探すのをやめてしまった妥協的な振る舞いの結果を後悔しているのだろう。
  3. 妥協しなかったら後悔しないのか。最初に臨んだ通りの結婚が出来ても、時間は人を変えるのでやはり後悔する。妥協しないで結婚を諦めた人は恐らく全員後悔しているだろう。めぐり合う努力が不十分だった自分の人生に。 
  4. 人生のたらればはキリの無いことだ。後悔の無い人生など誰にもないことだ。
(注意)
  1. 「妥協」と「妥協的な態度」とは全く違います。
  2. 「妥協」は最善の一致点に到達させる責任ある行為のことです。
  3. 「妥協的な態度」は自分の主張を明確にしないで相手の目論見に従うだけの無責任な 行為のことです。
  4. 「妥協」をネガティブに理解すると人生を間違えてしまいます。




http://toyokeizai.net/articles/-/198438

「妥協して結婚」した人の半分は後悔している
「条件を下げるべきだった」年齢は30代前半

明治安田生活福祉研究所
2017年11月26日

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若いうちは結婚にさまざまな理想を掲げるものですが…(写真:kou / PIXTA)
「未婚化」「晩婚化」が叫ばれて久しい日本。平均初婚年齢は男性31.1歳、女性29.4歳で20年前と比べて約3歳上昇しています(厚生労働省、2016年度「人口動態統計」)。その中で、男女交際・結婚への意識にはどのような傾向が見られるのでしょうか。
平均初婚年齢である30歳前後のアラサー世代の結婚についての意識を、これまで紹介してきました(2017年9月3日配信「アラサー女性の結婚阻む『もっといい人が』病」など)。アラサー世代の結婚の意識に続き、平均初婚年齢を過ぎた年齢層から、生涯未婚率の基準である50歳を過ぎた年齢層までを対象に行った調査の結果を4回に分けてご紹介します(本記事は第2回。前回は「結婚適齢期を過ぎた男女が持つ『未婚観』」)。今回のテーマは「結婚に対する理想と条件」についてです。
なお、本稿記載のデータは、(株)明治安田生活福祉研究所が行った「35~54歳の結婚意識に関する調査」、および「男女交際・結婚に関する意識調査」の調査結果を使用しています。
女性のほうが結婚をあきらめる時期は早い




35~54歳の未婚者に対して、結婚に対する気持ちを尋ねたところ、「結婚したい気持ちはあったが、今ではあきらめている」の割合が、男性32.2%、女性36.2%とそれぞれ最も高くなりました。

年齢層別に見ると、男性は40代後半以上、女性は40代前半以上で約4割を占めています。40代前半では女性と男性の差が7.4ポイントと最も大きくなっています。

また、女性の場合、年齢が高いほど「絶対結婚したくない(独身主義)」の割合は高く、50代前半は22.3%で30代後半の11.3%より11.0ポイント高くなっています。この世代間の差は、男性よりも顕著に表れています。

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http://toyokeizai.net/articles/-/198438?page=2


「妥協して結婚」した人の半分は後悔している
「条件を下げるべきだった」年齢は30代前半

明治安田生活福祉研究所
2017年11月26日

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次に、35~54歳と平均初婚年齢前後のアラサー世代(25~34歳)の結婚に対する気持ちを比較してみましょう。アラサー世代では「理想・条件を特に意識することなく結婚すると思う」が35~54歳の年齢層より高く、一方、「結婚したい気持ちはあったが、今ではあきらめている」は低くなっています。年齢を重ねるにつれて、結婚相手の理想や条件を強く意識するようになり、結婚をあきらめる割合が高くなる傾向が見て取れます。
条件を下げられない、最大の理由とは?




「理想・条件を下げるくらいなら結婚したくない」と回答した35~54歳の未婚者に対して、その理由を尋ねたところ、「どうせ理想・条件を下げるなら、もっと若い頃に下げて結婚しておけばよかったと思うから」が男女とも約4割で最も高くなりました。

年齢層が高いほど、その割合は高くなっており、50代前半では、約5割となっています。次いで、男女とも「自分のキャリア・収入・ルックス等に見合う異性でないと納得できないから」が約3割で続きます。

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http://toyokeizai.net/articles/-/198438?page=3

「妥協して結婚」した人の半分は後悔している
「条件を下げるべきだった」年齢は30代前半

明治安田生活福祉研究所
2017年11月26日

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「理想・条件を下げてでもとにかく結婚したい」「結婚したい気持ちはあったが、今ではあきらめている」と回答した35~54歳の未婚者に対して、何歳頃に理想・条件を下げておくべきだったか尋ねました。「理想や条件を下げてでもとにかく結婚したい」人は男女とも「30代前半」と回答した割合が最も高く、女性では「20代後半」と回答した割合も「30代前半」とほぼ同水準でした。

また、「結婚したい気持ちはあったが、今ではあきらめている」人では、「理想・条件を下げても結婚できなかった(できなかったと思う)」と考えている人の割合が男女とも最も高くなっています(男性64.5%・女性52.7%)。





それでは、結婚するために結婚相手に求める理想・条件を下げた35~54歳の既婚者は、何歳くらいのときに理想・条件を下げたのでしょうか。男性は「30代前半」(39.2%)、女性は「20代後半」(40.2%)が最も高くなりました。全体として、男性よりも女性のほうが、理想・条件を下げる時期は早いようです。
「条件を下げた」ことを後悔している人の割合は?





また、「結婚したかったので理想・条件を下げた」35~54歳の既婚者に対して、結婚相手に求める理想・条件を下げたことを後悔しているかどうか尋ねたところ、「どちらかと言えば後悔している」は、男性49.7%・女性56.1%で女性のほうが高くなっています。特に50代前半では、後悔している割合が女性では60.0%と男性の40.4%より19.6ポイント高くなりました。

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「人を叱る4つの心得」平尾誠二


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「人を叱る4つの心得」平尾誠二
  • ①他人と比較しない
  • ②長時間叱らない
  • ③プレーは叱っても人格は責めない
  • ④あとで必ずフォローする
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  • 平尾誠二
  • ラグビー
  • 山中伸弥
  • iPS細胞/ノーベル賞
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  1. 11月27日のノンストップ(フジテレビ番組)で紹介されていたもの。実際の文言がこの通りかどうかは分からない。
  2. 良く言われているような内容だけど実践は難しい。自分の子供を叱る時の注意事項にも通じるものだ。
  3. 誰のために叱るのか。これを強く認識しないといけないね。叱る相手も理解していないと上手くない。反省など生まれてこない。ここは本当に要注意。時々ぶれることがあるから。
  4. 行いは叱るが人は叱らない。これも難しい。だからお前ってやつは~になりかねない。
  5. フォローはもっと難しい。叱ったことを台無しにするリスクもある。精神的なダメージを癒し正しい道(?)に戻す手助けは必要だろう。


「叱る」ことは難しい。上位者がやれば叱りはハラスメントになりかねない。下位のものが叱る等もっと難しい。

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「正義」が人の口を借りて行うのが叱り。「正義」の普遍性の理解(共有理解)のないところでは叱りなど存在できない。

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  1. なぜ叱られているのか分かっていない人を叱るのは愚の骨頂。

『短い不在は恋を活気づけるが、長い不在は恋を滅ぼす。』

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短い不在は恋を活気づけるが、長い不在は恋を滅ぼす。

  1. 割と常識的な内容だな。これって名言ですか。敢えて口にしたのが立派なのかな。そもそも恋などは曖昧な部分があって活気づいているか滅んでいるのか本人はよく分からないだろう。
  2. 恋を成就したいならキープコンタクトとでも言ったかな。
  3. いずれにしても恋などは相手次第。本人次第。 

『人生に大切なことは、五文字で言えば「上を見るな」。七文字で言えば「身のほどを知れ」。』


『人生に大切なことは、五文字で言えば「上を見るな」。七文字で言えば「身のほどを知れ」。』

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  1. 徳川家康が本当にこのようなことを言ったかどうかは分からない。らしくない言い回しだから適当に語ったものだろう。
  2. 上を見るな」も「身のほどを知れ」も似たようなニュアンスだから詰まらない。加えて、今時の価値観とは相いれない。だから、反って新鮮に感じるかも知れない。
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  1. 為政者にご都合な言葉にも見える。封建社会の安定には欠かせない。下剋上などもってのほかだ。
  2. 誰にもチャンスがある社会なら活気にあふれるが安定感(?)はない。 既得権、利権を大事に守る社会は安定しているが停滞する。停滞は歪みのエネルギーを蓄積するだろう。徳川300年は日本の可能性を奪っただけだ。それを象徴するような言葉に見える。
  3. 十年早い」も同じか?。
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  1. 今時の正しい理解は誰でも知っていることだが、「己を知り、敵を知り、時を知ることで戦いに勝つことが出来る」というものだ。 
  2. 勝てるようになるまでじっと待つのではない。鍛錬、蓄え、偵察の末に、時を作り出すのだ。どのような戦いも同じ。
  3. 現代の個人も組織も、自分がどのような戦いを仕掛けられているか理解しなければいけない。現代の個人も組織も、常に戦いを仕掛けていなければいけない。(お疲れ様なことです)

『幸福はコークスのようなものだ。 何か別の物を作っている過程で偶然得られる副産物なのだ』

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『幸福はコークスのようなものだ。 何か別の物を作っている過程で偶然得られる副産物なのだ』

  1. 幸福は偶然の産物。 名言なのかな?。
  2. 幸福は求めて得るものではないというのかな。最初は偶然でも次はコークスを手に入れる方法を知っているので偶然ではない。とは言え、一人の人には一度しか人生はない。だから人お話を聞くことに意味がある。
  3. もっと悲しいことは、コークスを見てもそれが何か分からないことだ。 人はいま自分が幸福かどうかさえ分からない。幸福と答えようが不幸と答えようが。
  4. 幸福は多分に主観的で相対的なものだ。だから幸福は犯罪に利用される。

『あまりしつこくつきまとわれる愛は、ときに面倒になる。 それでもありがたいとは思うがね。』

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『あまりしつこくつきまとわれる愛は、ときに面倒になる。 それでもありがたいとは思うがね。』
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  1. 面倒になるくらい愛されてみたい?。
  2. その時でさえ感謝の気持ちを持てるなら。そういう人でなければ愛は得られない。
  • 感謝の気持ちとは何だろう?
  1. 人の感謝は結局それも自分を思う気持ちではないか。自分を良く理解する人だけが本当の感謝の気持ちを持てる。自分の存在は如何に周りから支えられているか知る人。
  2. お作法の感謝は歪んでいるかも知れない。感謝は相手のための行為と思っているから本当の感謝にならない。
  3. 「愛は感謝の相互交流」と考えても良さそうなくらいだ。



『青春は単なる人生の花盛りではなく、 来るべき結実の秋への準備の季節である。』

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青春は単なる人生の花盛りではなく、 来るべき結実の秋への準備の季節である。




  1. 綺麗な文章だ。しかし、わざわざ言うことかなとも思う。花が咲いて結果するのは普通の自然現象。人生で結果を残すには青春時代の準備次第だということ。大人が口にしたがる言葉。
  2. ただ準備の中身が難しい。キリがない。正解はだれにも分からない。無駄な準備があるのかどうか。

『真実には特定の時などない。真実はどんな時代にも真実である。』

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『真実には特定の時などない。真実はどんな時代にも真実である。』

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  1.  この言葉には特に違和感はないが感動もない。なぜだろう。言葉の定義を示されただけのように響くからかもしれない。
  2. 大事な言葉は、自分の考えが変わり、行動が変わること。大事な言葉は、自分の思いが確信に変わり、行動が力強くなること、大事な言葉は、自分の迷いを解いて、素直に世界が見えること。
  3. 大事な言葉は自分に勇気を与える。だから、この平凡な言葉に意味がある。

"Que Sera Sera"(ケセラセラ) と "Let it be"(レットイットビー)



"Que Sera Sera"(ケセラセラ) と "Let it be"(レットイットビー)


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婚約発表した小室佳さんが記者会見で好きな言葉を聞かれて答えたのがレットイットビーだったため俄かにこの言葉(必ずしもビートルズの曲ではなく言葉)が脚光を浴びている。

ついでにその昔の流行ケセラセラ(こちらもタイトルの曲があって多くの人が歌っている言葉)も改めて注目されている。どちらも同じような意味と雑駁なものから思い入れたっぷりの解釈までがネット上にならぶ。

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言葉を理解するには、時代感、文化感も入って来て様々な捉え方が披露され、なかなか面白い。

「人事を尽くして天命を待つ」は固い言い回しだが、単に「神の思し召しのままに」と言うよりは自分のポジションが見えて分かり易い。戒律的。99%の努力と1%の運にも通じる。

どうあがいたところでなるようにしかならない一種の諦念として理解する立場もある。色即是空。自分を捨てる視点だ。ケセラセラのニュアンスはこちらに近い。こだわりを捨てて自然に生きる姿勢にも見える。必ずしも消極的ではない。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。

作為(欲得)を捨てて本来の形に生きる。自分の心の声を聴いて生きる。素直な自分を取り戻して生きる。これがレットイットビー。人生も文化も。ヘルマン・ヘッセの世界。物事は自然の摂理で導かれるが、しかし、人の心を導く本質を理解するのはとても難しい。自分らしい自分って何?。

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入学、入会、就職、転職、 など節目では自分を見直す機会も多いが、試験官や面接官は身だしなみや言葉遣い、常識問題や専門領域のチェックは当然行うが、最後は人としての覚悟を見ようとする。

『あなたのレットイットビーは?』

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これは勿論、他人に訊くことではない。自分で自分に問いかけるものだ。「あなたのレットイットビーなどは余計なお世話。有り得ない。

勝手気ままに生きるって言うがどれほど難しいものか。多くの場合は恥ずかしいだけの只の逃避行。本人はよく分かっている。

他人の目の尺度でしか生きられない連中も多い。群れの中の猿と何も変わらないから面白い。(猿くん御免。この言い回しは失礼でした。人も猿の一種と言うことでご容赦ください。)



自分を見直すと言っても、突き詰めれば言い訳ばかり。 表面的な反省をしても結局は自分以外の誰かか何かが悪い。感謝の言葉を口にする人は多くの場合感謝を求めている詰まらない奴だ。だからと言って感謝が自然と出てこない人はもっと悲劇的だ。なぜ自分が今ここにいるのかさえ分かっていないのだから。

追記@2020/09/29

今、小室圭が現れて、レリビーなどと口にしたなら、この無責任野郎と罵る人が出るかも知れない。何故なら、近所の老人から金をせしめて踏み倒そうとする母と息子にしか見えないからだ。欲得のままに生きることをレリビーで表現していたとしか見えないからだ。

『孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。 しかし、 孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである。』

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孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。 しかし、 孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである。
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  1. まあ、物事は決めつけるものではないということかな。視点を変える、時間を変える、気持ちを変えれば、見え方は変わってくるのは誰でも知っていることなのに。
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(他の言葉)

  1. 結婚は一切のものを呑み込む魔物と絶えず戦わなくてはならない。 その魔物とはすなわち―――習慣のことだ。
  2. 孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。 しかし、 孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである。
  3. あらゆる人智の中で結婚に関する知識が一番遅れている。
  4. 結局のところ、最悪の不幸は決して起こらない。 たいていの場合、不幸を予期するから悲惨な目に会うのだ。
  5. 男はある女の愛人でありうるときには、その女の友人である事はない。
  6. 人は反感から愛へ向かう。 だが愛することから始めて反感に達する場合には、けっして愛には戻らない。
  7. 芸術は使命は、自然を模倣することではなくて、自然を表現することである。

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『心が変われば態度が変わる。 態度が変われば習慣が変わる。 習慣が変われば人格が変わる。 人格が変われば運命が変わる。』

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心が変われば態度が変わる。 態度が変われば習慣が変わる。 習慣が変われば人格が変わる。 人格が変われば運命が変わる。

 -  -
  1.  オリジナルは何処か別にあるのだろうか。
    ⇒ありました。「ウィリアム・ジェームズ」の言葉を蓮沼は日本に紹介したようだ。訳の途中で変化球が少し入っているようにも見えるが、本質は同じだろう。
  2. 風は吹けば桶屋が儲かるみたいな作りになっていて、共感と反感が共存するというのが率直なところだ。
  • 心⇒態度⇒習慣⇒人格⇒運命
  1. 今の時代は運命は正に運任せ/運次第と感じる人が多いとされる。運命は努力次第、志次第と考える人は少ない。しかし、ものは考えようで努力を軽く見る人が居るからこそ、努力は運命を変える有効な手段となるとも言える。
  2. ただ根本的なところでこのチェンジチェーンは破綻している。一番大事なことを何も言っていない。
  3. 心、こころ、志、思い。それを変えることは果たして出来るのか。心を変えるのはいつでもできると思ったら大間違い。「馬鹿は死ななきゃ治らない」「すずめ百まで踊り忘れず」「育ちが知れる」「性根」・・・。
  4. この言葉自体が心を変えることを促すものだが、そのことが正に、心を変えることの難しさを示している。
※ 

 

@2020/09/06

  1. 成程ね。「変わる」とは言っても「良くなる」とは言っていない。「悪くなる」かも知れないのだ。
  2. 突然変異進化論を引き合いに出すと、突然変異で「良くなる」(環境適合性が強化される)確率は極めて低い。 種としての進化はそれでいい。時間を掛けてしっかり進化している。
  3. 個人レベルなら、やはり、スピード感、確実性、必然性が求められる。
  • 心の奥にあるもの、それは使命感とか天命とか運命とか本能とか、上手く表現できないが、兎に角、何か根幹的な心の奥の声をしっかり聴くことが最も大事なことだ。



『死が老人だけに訪れると思うのは間違いだ。 死は最初からそこにいる。』

・

死が老人だけに訪れると思うのは間違いだ。 死は最初からそこにいる。


  1. 背筋が寒くなるような凄い言葉だ。
  2. 確かに命が与えられた瞬間から死はあなたを待っている。
  3. 若くして死んだ人は本当は幸せなのかもしれない。

@2021/02/12

老人を特筆する意図は何か?

  1. 老人は死を強く意識している。
  2. 若者には他人事に移る。
  3. 今のコロナCOVID19へのスタンスと同じ。 後遺症まで考えれば等しいリスクに直面しているのに分か真小野の自粛は限定的。そういいう意味ではこの言葉は若者への警鐘かクレームか。
  4. しかし、リスクの中でも「死」はもっと深刻だろう。それは必然だから。100%なのだ。
  5. 人は死から免れられないという事実を前にどう生きるのだろう。
  6. 生き方は死に方に通じる。 


『人は幸福を探し始めると、たちまち幸福を見つけられない運命に陥る。 しかしこれには不思議はない。 幸福とは、あのショーウィンドウの中の品物のように、 好きなものを選んで金を払えば持って帰れるというものではない。』

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人は幸福を探し始めると、たちまち幸福を見つけられない運命に陥る。 しかしこれには不思議はない。 幸福とは、あのショーウィンドウの中の品物のように、 好きなものを選んで金を払えば持って帰れるというものではない。

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  1. このような言葉を見るとストレスがたまる。
  2. 何かを、この場合は「幸福」だが、説明しているようで実は何も説明していない。
  3. 更に言えば、ショーウインドウの中の品物だって、好きに買える訳ではないのだ。金持ちは貧乏人の心も知らずに勝手な能書きをたれている様は恥ずかしいものだ。
  4. それでも理解に努めるなら、青い鳥の話に通じるものを感じる。あるいは、・・・?。自分は幸せかなんて自問している自分はそんなことを気にしているだけ幸せでないかも知れないし、下らん質問を思い付くだけ幸せなのかもしれない。
  5. はっきりしていることは、今は生きていて、いつかは死ぬということ。生まれる前のことも死んだ後のことも何も知らない。ただそれだけだ。
  6. 知らぬが仏。知ることは欲望をかき立てやがて欲望を打ち砕く。
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(他の言葉)

  1. 金儲けのうまい人は、無一文になっても自分自身という財産を持っている。
  2. 自転車は走ればこそ転倒しない。 要領の良い連中は、不安定な世の中を遊泳する。
  3. 男は建設すべきものも、破壊すべきものもなくなると、 非常に不幸を感じるものである。
  4. 幸福だから笑うわけではない。 むしろ、笑うから幸福なのだと言いたい。
  5. われわれは現在だけを耐え忍べばよい。 過去にも未来にも苦しむ必要はない。 過去はもう存在しないし、 未来はまだ存在していないのだから。
  6. 人は幸福を探し始めると、たちまち幸福を見つけられない運命に陥る。 しかしこれには不思議はない。 幸福とは、あのショーウィンドウの中の品物のように、 好きなものを選んで金を払えば持って帰れるというものではない。
  7. 幸福は遠くの未来にある限り光彩を放つが、つかまえてみると、もうなんでもない。 幸福を追っかけるなどは、言葉のうえ以外には不可能なことである。出典:幸福論

『人生に目的なんて一切いらない』

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『人生に目的なんて一切いらない』
  1. この文字だけ見ると間違えそうだ。東洋経済の記事を読むと堀江には毎日のように目的が出て来ているようだから。人生を懸けた一つの目的/目標というものは想定していないという意味に過ぎない。
  2. 無目的は無計画につながる懸念が大だが、そのようなことも堀江とは無縁だ。次々と計画をたて実現していこうというのだから。
  3. 琴線に触れる、熱い共感を持つ、面白いと思う、そのようなことを心にとどめて終わらせないで行動することの大事さを言っている。確かに一つの人生を感性で疾走するか、無事を願って安全運転で終わらせるか、大きな選択肢かも知れない。実際には多くの人にとって人生は疾走も安全運転もできない妥協、諦念、理不尽、後悔に満ちた"おっかなびっくり"のドライブかもしれない。





http://toyokeizai.net/articles/-/176629

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堀江貴文氏「人生に目的なんて一切いらない」
「永遠の3歳児」として、今だけを全力で生きよ

「人生に夢や目標は必要ない」
堀江貴文氏、常に新しい自分に
2017年6月21日 午後4時00分
 堀江貴文氏の『多動力』が、発売から1カ月もたたずに12万部を突破した。本質をとらえた言葉に、多くの人が心を動かされているようだ。
 一般的には、「将来の夢」や「目標」から逆算して今の行動を決めることは、計画的でよいことと考えられているだろう。しかし、堀江氏はそうした考え方に異を唱え、「小利口な人間がバカに勝つことはできない」と指摘する。行動することが何よりも重要な時代を、われわれはどのように生きればよいのか。著者である堀江氏がその哲学を明かす。
 ■バカが小利口に勝る理由とは?
人についていく小利口ではなく、真っ先に手を挙げるバカになれ(撮影:大澤 誠)

 いくつものワクワクするプロジェクトを動かすためには、人についていく小利口ではなく、手を挙げるバカにならなくてはいけない。

 僕はこれまで、空気なんて読まず、クラスの中で真っ先に「はい!」「はい!」と手を挙げるような人生を歩んできた。

 年功序列、終身雇用の余韻が残っていた1996年にオン・ザ・エッヂを起業し、ライブドアへとつながっていった。ニッポン放送とフジテレビを買収し、メディア革命を起こそうと計画した。大阪近鉄バファローズを買収し、プロ野球をおもしろくしようと考えた。自民党から衆議院議員候補として出馬し、自民党総裁になってやろうと夢想した。

 失敗した計画も多いが、成功したプロジェクトのほうが数多い。今でも僕はおもしろいことを思いついた瞬間、真っ先に手を挙げる人生を歩んでいる。


 目の前におもしろいもの、興味深いものがあれば、さっと手を伸ばして触ってみる。自分の手で触ってみておもしろければ、とことんまでハマってみる。

 実は、成功している社長にはバカが多い。バカだから「恥ずかしい」とか「失敗したらどうしよう」などという「感情」を通り越してやってしまう。

 小利口な人間があれこれ考えて行動を起こせずにいる間に、手を挙げるバカがチャンスを手にするのだ。小利口が癖になると、せっかく目の前におもしろいことがあるのに、一歩引いているせいでタイミングを逃してしまう。

 1人のバカと、多数の小利口という法則がある。プロジェクトを成功させたい強い気持ちをもつ人間がトップにいれば、技術をもった小利口、事務作業が得意な小利口が自然と集まってくる。




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「人生に夢や目標は必要ない」
堀江貴文氏、常に新しい自分に
2017年6月21日 午後4時00分

 誰よりも早く手を挙げ、「まだ形になっていないプロジェクトを成功させてやる」というリスクを取れる人間こそが貴重なのだ。

 AIやロボットが人間の仕事を代替するようになったときこそ、「いちばん最初に手を挙げるバカ」の存在は輝きを増す。アルゴリズムや常識からかけ離れたクレイジーな発想から、爆発的におもしろい仕事が始まる。「あいつはいつも一番に手を挙げる」とあきれられるほどのバカになろう。
 ■好奇心旺盛な3歳児のまま、大人になれ

 実は、かつては誰もが「多動力」をもっていた。そう、あなたが3歳児だったころ、「多動力」は確実にあなたの中にたっぷりと備わっていたのだ。

 ご飯を食べていても、興味がころころ移っては、ジュースをこぼしたり、お皿を割ったり、親を困らせていたはずだ。好奇心が抑えられずけがばっかりしていたはずだ。

 しかし、多くの人は、子どもから大人になっていく中で、「多動力」がみるみるうちにかれていく。「やりたいこと」ではなく「やらなくてはいけないこと」をするように矯正され、バランスの取れた大人になる。

 一方で、成功している起業家やクリエーターは、好奇心旺盛な3歳児がそのまま大人になってしまったような人が多い。

 大人になるにつれ身につけるはずの分別や自制心を、彼らはいい意味でもっていない。無分別であり、ストッパーが外れている。

 だから、50歳になろうが60歳になろうが、興味があることに脇目も振らず邁進する。その結果、誰もが考えもしなかったイノベーションを起こすのだ。

 テスラ・モーターズCEOのイーロン・マスクは服を着られないらしい。服を着ている間に、次にやりたいことを思いついてしまうから、ボタンを留めることができないのだ。まるで3歳児がテレビやおもちゃに夢中になってしまって、いつまでたっても服を着替えられないのと同じである。

 だからこそ彼は、常識にとらわれず、「火星移住計画」を立てたり、ロサンゼルスの渋滞に不満を感じれば、いきなり地下にトンネルを掘り始めたりしてしまう。

 人は年を取ると、今まで培ってきた人脈や経験にがんじがらめになり、新しい刺激に身をさらせなくなる。自身を変革し続けるフレキシビリティを失ってしまう。

 僕も40代になったころ、同世代の人間が妙に落ち着き、つまらなくなっていることが気になり始めた。そうやって落ち着いて1つの型にハマるせいで、自分で自分の世界を狭めてしまう。

 新しいことに興味を失ってしまえば10代でも老人だし、新しい刺激を求め続けるのならば60歳でも若者だ。いつまでも未知なるものを求め続ける「3歳児」であろう。

 人はすぐ、僕が行動する目的を知りたがる。

 「堀江さんがしょっちゅう海外に行くのはなんでですか?」「いろんな人と毎日食事するのはなんでですか?」

 答えは1つしかない。



「人生に夢や目標は必要ない」
堀江貴文氏、常に新しい自分に
2017年6月21日 午後4時00分

 「おもしろいから」だ。ただ「おもしろいから」「楽しいから」行動する。僕は「異業種交流会なんて行くのは意味がない」「名刺交換会なんてナンセンスだ」と各所で言ってきた。

 人脈をつくろうと躍起になって何百人、何千人と名刺交換し、フェイスブックやツイッターの「友だち」の数を増やしたところで、仕事に役立つわけはない。

 僕はそもそも「アイデアを見つけたい」「人脈を広げたい」なんていう頭でっかちな考えをもって日々を過ごしてはいない。

 おもしろい人たちとおもしろい時間を過ごす。その結果、偶然のようにアイデアが生まれ、仕事につながり、遊びにもつながる。
 ■人生に、ゴールや終着点なんてない

 1日24時間をできるだけ「ワクワクすること」だけで埋めるように努めている。何か具体的な目的のための手段として人生を送ってはいけない。楽しむことだけがすべてなのだ。

 好きなことを好きなだけやっていると、手元に何かが残っているのだ。人生に目的なんてない。

 誰だって、おもしろい本や漫画に夢中になって読みふけっているうちに、電車を乗り過ごしてしまった経験はあるだろう。

 周囲の人間が引くくらいに無我夢中になり、熱狂的なまでに没入する。そうなればこっちのものだ。仕事に没頭し、遊びに没頭し、夢中になれさえすれば、目的なんておのずと達成される。結果はあとからついてくる。

 子どもはいつだって、目的なんて考えない。楽しいから遊ぶ、おいしいから食べる、寝たいから寝る。常識や周りの目を気にすることなく、生きているから、驚くほど成長が速いのだ。

 今生きている時間、この瞬間を楽しまず、ただ歯を食いしばって努力したところで、思うような成果なんて得られない。

 今がすべてであり、「将来の夢」や「目標」なんて必要ない。「想定の範囲外」の新しいプロジェクトが次から次へと頭に浮かび、毎日がおもしろくてたまらない。僕はそんな人生を送っていきたい。

 人生にゴールや終着点なんてあってたまるか。

 僕は今日、明日、あさってと、つねに自分を捨てながら新しい自分に生まれ変わっていきたい。「多動力」こそ、僕が僕であり続けるための最大の原動力なのだ。(堀江貴文:実業家)


『過去と未来は最高によく思える。 現在の事柄は最高に悪い。』

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『過去と未来は最高によく思える。 現在の事柄は最高に悪い。』
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  1. 面白い表現だ。現在が悪くて過去も未来も良いのならこれからも頑張って生きていけそうだ。これが逆だと所謂悲観論者になる訳で生きて行けないかもしれない。
  2. 過去は忘却の中に、未来は希望の中に、心は癒されるものだ。
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(その他の言葉)
  1. 成し遂げんとした志をただ一回の敗北によって捨ててはいけない。
  2. 人々は悲しみを分かち合ってくれる友達さえいれば、 悲しみを和らげられる。
  3. 人間一度しか死ぬことはできない。
  4. 生きるべきか、死すべきか。それが疑問だ。To be, or not to be : that is the question.
  5. 人生はただ歩き回る影法師、哀れな役者だ。 出場の時だけ舞台の上で、見栄をきったりわめいたり、 そしてあとは消えてなくなる。
  6. 友情は不変といってよいが色と恋が絡めば話は別になる。
  7. 生きるべきか死ぬべきか。それが疑問だ。
  8. われわれの人生は織り糸で織られているが、良い糸も悪い糸も混じっている。
  9. あまりしつこくつきまとわれる愛は、ときに面倒になる。 それでもありがたいとは思うがね。
  10. 世の中には幸も不幸もない。ただ、考え方でどうにもなるのだ。
  11. 恋は目で見ず、心で見るのだわ。
  12. 友情は多くは見せかけであり、恋は多くの愚かさにすぎない。
  13. 本を読んでも、物語や歴史に聞くところからでも、 真実の恋は滑らかに運んだためしがない。
  14. 金は借りてもならず、貸してもならない。 貸せば金を失うし、友も失う。 借りれば倹約が馬鹿らしくなる。
  15. 臆病者は本当に死ぬまでに幾度も死ぬが、 勇者は一度しか死を経験しない。
  16. 君、時というものは、 それぞれの人間によって、 それぞれの速さで走るものなのだよ。
  17. 誠の恋をするものは、みな一目で恋をする。
  18. 過去と未来は最高によく思える。 現在の事柄は最高に悪い。
  19. 世の中には幸福も不幸もない。ただ、考え方でどうにでもなるのだ。
  20. 終わり良ければすべて良し。
  21. 「今が最悪の状態」と言える間は、 まだ最悪の状態ではない。
  22. 男というものはいつでもそうだが、我が家から離れている時が一番陽気なものだ。
  23. ほどほどに愛しなさい。長続きする恋はそういう恋だよ。
  24. 世の中には福も禍もない。ただ考え方でどうにでもなるのだ。
  25. 不幸を治す薬は、ただもう希望よりほかにない。
  26. 神は、我々を人間にするために、何らかの欠点を与える。
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『最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑しながら、 しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである。』

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『最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑しながら、 しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである。』
  1. どういう意味か分からない。例えば、利権まみれの腐敗政治や腐敗政治家を軽蔑しながら、腐敗政治の世界に身を置いて利権を手にしている生き方を賢い処世術とでも言うのだろうか。若しくは全く異次元の世界に身を置いて生きることなのだろうか。

『楽しい顔で食べれば、皿一つでも宴会だ。』

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『楽しい顔で食べれば、皿一つでも宴会だ。』



一人宴会はいつも楽しい一皿(ワンディッシュ)だ。独り占めだから当然。

タイトルの言葉のものはどういう状況かと言えば、大勢で一つの皿をシェアするのかな。超特大の皿と言うものでもなさそうだ。皿の上のものよりも話が楽しいのだろう。酒と言葉で満ち足りればツマミは無くてもいい。でもこれって下級役人では普通のこと。国士の思いを潜めていれば言葉を世界を巡るものだ。



ブルデンチウス?スペインの詩人ということだが正体が掴めない。何処にも情報が出ていない。

『誰も称賛してくれる者がいなくても自分のことは自身で称えよ。』

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誰も称賛してくれる者がいなくても自分のことは自身で称えよ。

  1. この言葉が誰によるものなのか明快に分からない。候補は今のところロバート・バートンとリチャード・バートンとなるが、もう少し調べる必要がありそうだ。サッカー選手のジョーイ・バートンは考えにくい。無見識に転用すると間違えそうだ。

  1. この言葉は最初の印象より重いものが感じられる。
  2. 人の生き方あるいは生き様は様々だが、視点を自分の中に置くかか 自分の外に置くかで大分違ったものになる。
  3. 自分を鼓舞して強く生きることだ。自分ぐらいは自分を信じてやれよ。

『運の悪い人は安心するがよい。 なぜなら、なおいっそうの悪運におちいる心配はないから。』

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『運の悪い人は安心するがよい。 なぜなら、なおいっそうの悪運におちいる心配はないから。』
  • オーヴィット (Who?)
  • オウィディウス
  • プーブリウス・オウィディウス・ナーソー
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  1. 疲れた現代人はそう安心もしていられない。不運はとことん重なることもある。終わりが無いのが運の悪さだ。
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「心のビタミン」はCheck*Padモーニングサービスの一部を収録しています。チェックパッドがどこから収録しているかは分かりません。ぱらぱら眺めるだけで気分転換になります。⇒(追記)現在はそのようなサービスは終了したのでしょうか見当たりません。

索引ラベル(+)はWikipediaの日本語ページ、英語ページのタイトルを採用する。未収録の場合は適当。


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名言 格言 一言
Mental Vitamin 心のビタミン
kotobanokokoro

☆☆☆

心のビタミンは子供の自由教材として見てもなかなか面白い。もちろん、ビジネスマン(ビジネスウーマン)の研修教材として見ても十分。年代・世代を超えて訴えてくるメッセージをそれぞれどう受け止めるか、その時の心模様~時代背景が微妙に反映されて興味は尽きない。

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