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『目の見える人間は、見えるという幸福を知らずにいる。』


目の見える人間は、見えるという幸福を知らずにいる。
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  • 割と常識的ですね。目だけじゃない。身体の何処も同じこと。人間関係でも、身の回りの品でも、その状態が継続すると刺激は小さくなる。小さくなっていかないと実が持たない。生命の知恵でしょう。
  • 「初心忘れるべからず」(MS-IMEは「しょしんわするべからず」の変換も出来ない。酷いね!)とも言うのは最初の刺激をせめて記憶しておけということかな。
  • 生きているだけで奇跡の存在なのだ。そのことを感じて生きていくなら、これからの一日一日がこれまでと違ってくるだろう。
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『幸福は対抗の意識のうちにはなく、協調の意識のうちにある。』


幸福は対抗の意識のうちにはなく、協調の意識のうちにある。

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  1. 「幸福」とは何かの理解すら覚束ない身には、「対抗」とか「協調」とか言われても取り付く島がないのであります。
  2. とは言え、少なくとも、対抗する状況よりは協調する状況の方が幸福に近いと思うのは納得できる。
  3. 建設的な対抗はより高いレベルでの新しい価値をもたらすかもしれないが、その作業は苦しく、時には相手を否定するプロセスにおいて破綻することもある。いずれにしても安心のない緊張が支配的だろう。
  4. 協調は下手をすれば、追従的、妥協的、怠惰で、得られるものは凡庸の域を出ないことが少なくない。それでも緊張を強いられることは少なく、安心が行くのは当然だろう。ハイレベルな協調を意識すると、自らへの批判的な考え方も求められるが、それは強いられたものではないため、心の平穏が浴び屋化されることは少ない。
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作り物の自分を愛されるより、ありのままの自分を憎まれる方がましだ


作り物の自分を愛されるより、ありのままの自分を憎まれる方がましだ
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  • 分けの分からない言葉だ。どっちも嫌でしょう。?
  • もっと訳が分からないのは「作り物」と「ありのまま」の違いです。
  • そもそも人間は意識しようがしまいが変革の存在です。文化というやつかな。人間なんて作り物でしょう。日々、精進して嘘を誠に変える凄いやつでしょう。
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  •  しかし、気持ちはよく分かる。”へつらう”、”おもねる”、”きどる”、”だます”、など。本来の自分でないものを評価されて愛を勝ち取ることに意味は無いというのだ。たとえ、憎まれようが素の自分で、ありのままの自分でいたいということだ。
  • 本音で地を出して生きている人はまれに存在する。強さ、たくましさ、粗暴、わがまま、そういったものが同居する人たちだ。
  • 個性が強く出るので好き嫌いはあるな。
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『たとえあなたが少数派であろうとも、真実は真実なのです。』


たとえあなたが少数派であろうとも、真実は真実なのです。
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  • どういう状況、どういう意図で、この言葉は使われたのかは知らない。
  • 民主主義の問題、本質的な欠点を衝いているようにも聞こえる。
  • メジャー志向に対するマイナー志向かも。というより最初からメジャーなものは存在しない。全てはマイナーから始まる。
  • 人々一人一人に勇気を与える言葉だ。
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  • 暗殺されたらしい。立派な指導者が生まれるところには愚かな人々も同居している。残念なことだ。
  • さて、今の世の中、真実が何かを見極めるのは難しい。時間が過ぎれば客観視できることも同じ時代に流されていると本当のことが見えてこない。困ったことだ。
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『間違いを犯す自由が含まれていないのであれば、自由は持つに値しない。』


間違いを犯す自由が含まれていないのであれば、自由は持つに値しない。
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  1. これは分かるようで分からない。
  2. 自由とは何か?自由と規律の調和はどのように成立すべきか?
  3. 「間違い」の中には犯罪とされるものも入ってくる。犯罪の線引きが不適切ならそれはもう自由な国ではなくなる。当時のインドはそうだったのだろう。
  • 以上も意味不明?
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『怠けていることは喜びかもしれないが重苦しい状態である。幸せになるためには何かをしていなくてはならない。』


怠けていることは喜びかもしれないが重苦しい状態である。幸せになるためには何かをしていなくてはならない。

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  • 共感できるにもかかわらず結構難しい。
  • 重苦しい喜び?。欲望の罪?。セブンというタイトルの映画を思い出す。快楽的であれば喜びの心の裏に罪を背負う。怠惰も罪の一つだったように思う。
  • 自分本位に生きるのはどんなに楽しくても本当の喜びにならない?。
  • ガンジーの言う「何かをする」とは?
  • 多分なんでもいいのだ。社会貢献なんてものでなくて自己本位でも構わない。アクティブになれば自ずと問題が明確に見えてくる。
  • 未来に喜びを感じないで難もしないで居る民衆に訴えた言葉だろう。 民衆が動こうとすれば社会の本当の問題が見えてくる。とか?
  • 今の時代なら怠惰は苦痛と喜びの両方の側面を持つものとして普通に理解できる。かな?。
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『金持ち連中の軽蔑には容易に耐えられる。 だが一人の恵まれない人の視線は、私の心の底に深く突き刺さってくる。』


金持ち連中の軽蔑には容易に耐えられる。 だが一人の恵まれない人の視線は、私の心の底に深く突き刺さってくる。
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  • アンドレ・ジードの言い回しはなんかユニークだな。恵まれない人というのは計算高く狡猾な生き方をしてこなかった人ということだろう。金持ち連中は其の逆だから、軽蔑であっても何かの意図が働いていると見たんだろう。
  • 日本だと逆になることも。それに、名言は成功者のものばかりだから。貧しい人、不幸な人、敗北者、そういった人の名言はないの?。そもそも名言って何かな?。
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(アンドレ・ジッドの他の言葉)
  • 恋をした後のもっとも大きな幸福は、自分の愛を告白することである。
  • 誤りと無知とによって作られた幸福など、私は欲しくない。
  • 同じ生活を営み、 お互いに愛し合っている二人の人間が、 どの点までお互いに謎であり、 城壁をめぐらしていることができようか。
  • 金持ち連中の軽蔑には容易に耐えられる。 だが一人の恵まれない人の視線は、私の心の底に深く突き刺さってくる。
  • ある年齢以後になると友人を選ぶよりは、 友人に選ばれる場合の方が多い。
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『ある年齢以後になると友人を選ぶよりは、友人に選ばれる場合の方が多い。』


ある年齢以後になると友人を選ぶよりは、友人に選ばれる場合の方が多い。


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  • この言葉には自己矛盾してないか?。なぜなら、友人の方は君を選んでいるじゃないか。友人が若者という訳でもあるまい。
  • ある年齢が過ぎると、人間としての特性が定まってくるから、其の特性に応じて自分は選ばれてしまうということかな。
  • 年齢が過ぎると人は変わるのが難しいということかな。飽くなきチャレンジといいつつも成功体験の穴から抜け出せなくなる?。
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「心のビタミン」はCheck*Padモーニングサービスの一部を収録しています。チェックパッドがどこから収録しているかは分かりません。ぱらぱら眺めるだけで気分転換になります。⇒(追記)現在はそのようなサービスは終了したのでしょうか見当たりません。

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名言 格言 一言
Mental Vitamin 心のビタミン
kotobanokokoro

☆☆☆

心のビタミンは子供の自由教材として見てもなかなか面白い。もちろん、ビジネスマン(ビジネスウーマン)の研修教材として見ても十分。年代・世代を超えて訴えてくるメッセージをそれぞれどう受け止めるか、その時の心模様~時代背景が微妙に反映されて興味は尽きない。

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