"Que Sera Sera"(ケセラセラ) と "Let it be"(レットイットビー)
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婚約発表した小室佳さんが記者会見で好きな言葉を聞かれて答えたのがレットイットビーだったため俄かにこの言葉(必ずしもビートルズの曲ではなく言葉)が脚光を浴びている。
ついでにその昔の流行ケセラセラ(こちらもタイトルの曲があって多くの人が歌っている言葉)も改めて注目されている。どちらも同じような意味と雑駁なものから思い入れたっぷりの解釈までがネット上にならぶ。
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言葉を理解するには、時代感、文化感も入って来て様々な捉え方が披露され、なかなか面白い。
「人事を尽くして天命を待つ」は固い言い回しだが、単に「神の思し召しのままに」と言うよりは自分のポジションが見えて分かり易い。戒律的。99%の努力と1%の運にも通じる。
どうあがいたところでなるようにしかならない一種の諦念として理解する立場もある。色即是空。自分を捨てる視点だ。ケセラセラのニュアンスはこちらに近い。こだわりを捨てて自然に生きる姿勢にも見える。必ずしも消極的ではない。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。
作為(欲得)を捨てて本来の形に生きる。自分の心の声を聴いて生きる。素直な自分を取り戻して生きる。これがレットイットビー。人生も文化も。ヘルマン・ヘッセの世界。物事は自然の摂理で導かれるが、しかし、人の心を導く本質を理解するのはとても難しい。自分らしい自分って何?。
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入学、入会、就職、転職、 など節目では自分を見直す機会も多いが、試験官や面接官は身だしなみや言葉遣い、常識問題や専門領域のチェックは当然行うが、最後は人としての覚悟を見ようとする。
『あなたのレットイットビーは?』
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これは勿論、他人に訊くことではない。自分で自分に問いかけるものだ。「あなたのレットイットビーなどは余計なお世話。有り得ない。
勝手気ままに生きるって言うがどれほど難しいものか。多くの場合は恥ずかしいだけの只の逃避行。本人はよく分かっている。
他人の目の尺度でしか生きられない連中も多い。群れの中の猿と何も変わらないから面白い。(猿くん御免。この言い回しは失礼でした。人も猿の一種と言うことでご容赦ください。)
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自分を見直すと言っても、突き詰めれば言い訳ばかり。 表面的な反省をしても結局は自分以外の誰かか何かが悪い。感謝の言葉を口にする人は多くの場合感謝を求めている詰まらない奴だ。だからと言って感謝が自然と出てこない人はもっと悲劇的だ。なぜ自分が今ここにいるのかさえ分かっていないのだから。
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追記@2020/09/29
今、小室圭が現れて、レリビーなどと口にしたなら、この無責任野郎と罵る人が出るかも知れない。何故なら、近所の老人から金をせしめて踏み倒そうとする母と息子にしか見えないからだ。欲得のままに生きることをレリビーで表現していたとしか見えないからだ。
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