『運がいいからといって得意になるな。 不運だからといってがっかりするな。』
- クレオパルス
- この人は誰?
- 飛び出した子を抑え、凹んだ子を支える。大人(学校の先生?)のありがちな対応だ。言葉通りのことを早速やっているんだから。
- 運の良い子は成功し、運の悪い子は取り残される。それが現実だ。
- こういう平均点型の先生に出会うのは不運でしかない。
- 状況は常に流動的であることだけは理解できそうだ。
(追記)
格差社会の現実をどのように認識するか。教師は何を教えるべきか。格差社会における教師のポジションは?。この言葉は教師が自分自身に言い聞かせているものかも知れない。
超格差社会では 新しい宗教、道徳、倫理、合理性が必要になる。恐らく。
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超格差社会は既に始まっている。非民主主義社会(独裁・暴力・国家主義)が世界中で大きな顔をしている。民主主義は正義の形の一つだった筈なのに揺らいでいる。自由・平等・博愛は格差社会の現実の前で立ち位置を失っているようだ。理想は現実に打ちのめされた。
言葉を失ったままでよいのか。
@2019/01
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(追記2)
読み返しても、何を言いたいのかよく分からないコメントだね。もう一度お浚い。
複数の人間を1つのチームとしてリードしたいときは、バラバラにならないようにこの手の言葉で括ろうとするものだ。 矛盾を抱えたまま協調性を発揮してチームに身を置く人が多い。社会ではやむを得ない。
現実は、運のいい奴は高級外車を乗り回して得意の絶頂。不運な奴は炎天下でバイトをしながら眺めているだけ。
運よく優秀な頭脳を貰っていれば才能発揮を楽しめるが、不運な奴は凡人の悲哀をかみしめるだけ。前者は向上心がありチャレンジを楽しめるが、後者は何かを諦めなければいけない。
「運」なんて一つや二つではないが人生前段の不運は、昔なら立身出世で巻き返しもあっただろうが、今は決定的。
モノポリーのゲームと同じ。 前段のチョンボは厳しい。前途多難。
>だから
運のいい奴は、今持っている優位なポジションを生かすように頑張れと言うべきだろう。不運な奴は、人生に対するスタンスを考えろ。見極めが大事だと言うべきかな。がっかりするなもいいが無責任な励ましは心に響くわけがない。
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