『過失をひとつも犯さない人間は、常に何事もしない人間である。』
- 言葉の主は「エドワード・ヘルプス」 で紹介されているところもあるがこの名前では探し出せない。
以下の「収録済み記事」は一つの参考。こちらの名前にしても確証はない。
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- 過失って何だろうとか。
- 責任義務行為を果たせないことかな。注意義務違反なら分かりやすい。受験に失敗しても過失とは言わない。義務教育を履行しなかったら本人の過失か、親の過失か、行政の過失か。
- 法律に違反することだけでなく、倫理的にも外れていたら過失とされてもいい時があるだろう。所属する組織団体地域等のルール、しきたり、慣例などへの違反行為も過失とされるに違いない。
- 手抜きをして他人に迷惑を掛けた場合は損害賠償の話になる。手抜きをしても見つからなければ手抜き得になるかな。というか過失として認識されない。健康診断を受けないで何も無ければそれまで。発見が遅れたら自業自得だが、立派な過失だ。
- 過失と失敗は何が違うのとか。
- 失敗は企みに対して結果を達成できないこと。過失がその要因として存在しようがしまいが関係ない。単なる力量不足や不測の事態の発生など色々な要因原因を持って失敗と言う結果に至ることは有る。みんなで頑張ったても駄目な時は駄目なのだ。
- 失敗の反対は成功。企みが成立すること。仮に過失が途中存在していても適切なリカバリーができれば目標の結果を導くことが出来る。
- 繰り返すと、過失は人の行為の義務違反。失敗は企みが成立しなかった結果事象。
- 日本語として「常に~しない」って変じゃないか。
- 英語文化が入ってきて直訳シャワーを浴びるとこういう日本語がまかり通るようだ。あの人は常にサボっているなんて言わないね。あの人はいつもサボっているって言うでしょ。まあ、どうでもいいことだけど。
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言葉を整理するとこの訳文はやはり間違っている。本意を組めば過失ではなくて、失敗のほうです。目標を掲げチャレンジするから失敗が生まれる。目標を持たない、チャレンジしない、そういう人には失敗も成功も現れて来ない。
過失を犯す=犯罪行為を正当化するあるいは唆す言葉ではあるまい。
それにしても、この言葉は極端な視点からの物言いで嫌だね。全く上から目線の態度。この人が成功者かどうかは知らないが、何かを失ったことは確かなようだ。
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