『二人は昼も夜も聖書を読んだ。だが私が白と読んだところをあなたは黒と読んだ。』
- ウィリアム・ブレイク
- William Blake
- 1757年11月28日 - 1827年8月12日
- イギリスの画家、詩人、銅版画職人?。
- 背景は分からないが言葉通りに理解すると人によって理解の仕方がまったく別のものになることがあるということだ。しかも、聖書という誰もが読み聞きして当たり前のようになっているものでも違いがある。
- でも、自分と相手が違う読み方をしていることに気付いているのは立派だ。違いに気付くことはお互いを正しく理解し合える第一歩かもしれない。違いを尊重する気持ちも大事だろう。違いを理解することでより深い理解が可能になる。主張は最後でいい。主張などしなくて言いということ。
- もう少し違った発想で捉えると、言葉は生き物だということだ。人の心の中で生きている。その人と一緒に成長(?)している。
- 悲観的な理解は、人間にはお互い如何しても理解しあえぬことがあるということだろう。 どんな努力してもだ。どうしますか?。
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@2022/06/29
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『#二人は昼も夜も聖書を読んだ。#だが私が白と読んだところをあなたは黒と読んだ。』
#ウィリアム・ブレイク
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何を示唆するものか難しいね
まさにこの言葉通りに解釈も様々と言うことだろう
白黒の #違いを正す のか #違いを認める のか
自分自身が問われている
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