『為せば成る、為さねば成らぬ。成る業を成らぬと捨つる人の儚さ』
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- これは同じことを言っているのか?別のことを言っているのか?分かるようで分かりません。しかし、時代が全く異なることを考えると、信玄の言葉を鷹山が当時の価値観に解釈したとも思える。
- 強いて違いを言えば、信玄は人の業は変えられないとして諦めているが、鷹山は人が変わることを求めている教育者の態度だろう。
- 回りを見てみるがよい。出来ない理由、やらない理由をいろいろ並べている人がいる。他人への言い訳ならまだしも、自分自身へも同じように言い訳をしている。これも一つの「三猿」の姿だ。
- その問題や課題が自分の手に負えるかどうかはなかなか分からないものだ。失敗した時に失うものの大きさを考えるとチャレンジはリスキーに見えるのは当然だ。経験のある領域と未経験の領域ではリスクの大きさは変わる。できることをできないと言うのは日ごろの訓練、教育の影響が大きい。
- 何より重要なのはその個体の経験と考え方だ。適度な成功体験を学習していなければ、プラスの螺旋運動を始められないからだ。
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