ラ・ロシュフーコー
多くの言葉を残している。言葉を遊んでいるようにも見える。心に響くもの、新たな躍動を誘うもの、本当のメッセージが無いからだ。己を客観視する助けにはなる。ニヒルな自分を演出する感覚は養われる。しkし、それまでだ。時代の価値観の違いだろう。今日的には魅力的な言葉ではない。世間からは言葉の芸人と揶揄されて終わるかもしれない。
- 若くても美しくなく、美しくてもわかくなければ、なんにもなりはしない。
- 嫉妬は常に恋と共に生まれる。 しかし必ずしも恋と共には滅びない。
- 我々は、 幸福になるためによりも、 幸福だと人に思わせるために四苦八苦しているのである
- 死と太陽は直視することは不可能である。
- 愛する人に本当のことを言われるよりも、 だまされているほうがまだ幸せなときがある。
- 恋する男と女が一緒にいて、少しも退屈しないのは、 いつも自分たちの事だけを話題にしているからだ。
- 二人の間に恋がなくなったとき、 愛し愛された昔を恥ずかしく思わない人はほとんどいない
- 女は初めてできた恋人をいつまでも離すまいとする。 第二の恋人が出来ないかぎり。
- 人間は、自分が考えるほど不幸でもないし、それほど幸福でもない。
- 友情のための最大の努力は、 友人に我々の欠点を見せることではない。 彼に彼の欠点を悟らせることだ。
- 大多数の若者は、そのぶしつけと無作法を、 天真爛漫のつもりでいる。
- 人は、他人と違っているのと同じくらい自分自身とも違っている時がある。
- 友人に不信をいだくことは、 友人にあざむかれるよりもっと恥ずべきことだ。
- 人の心を暴き出すような格言に対して非難が集中するのは、自分の姿がそこに暴き出されるのが怖ろしいからなのだ。
- 希望と恐れは切り離せない。 希望のない恐れもなければ、恐れのない希望もない。
『友人に不信をいだくことは、 友人にあざむかれるよりもっと恥ずべきことだ。』
- 珍しくメッセージ性を感じる。
- 「走れメロス」と同じだな。西洋の価値観か普遍性のある価値観か。
- ラ・ロシュフーコーの好む言い回しでもある。
- ぎりぎりの選択を迫られたときの覚悟の話だが、結果オーライでなければ「お人よし」でばっさり切られることもある。
-