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『結局のところ、最悪の不幸は決して起こらない。 たいていの場合、不幸を予期するから悲惨な目に会うのだ。』

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『結局のところ、最悪の不幸は決して起こらない。 たいていの場合、不幸を予期するから悲惨な目に会うのだ。』



言っていることが良く分からない。訳の問題かな。


最悪の不幸は決して起こらない。

これ嘘でしょう。只の願望かな?。現実は、起きた不幸はたいてい、嫌、常に最悪なのだ。次々と最悪の不幸が起きている。で、最後は死ぬ。

不幸を予期するから悲惨な目に合う

 これがまた分かり難い。不幸を予期したら回避行動をとる。回避行動が無駄で悲惨だとでも言っているのかな。不幸を予期することで悲惨なイメージを抱えて不幸になると言っているのかな。

社会システムは不幸予期による回避行動ばかりだ。人々はどんどん不幸で悲惨な状態に置かれているのだろうか。社会コストは膨らむ一方だ。本来的な自由な時間(それとお金も)はどんどん奪われている。

しかし、予期できた不幸を無視したらどうなるか。致命的に悲惨になる(かも知れない)。



この言葉から学ぶとしたら、

行き過ぎた心配性は人生大損だよ!ということかな。

群衆について行ったら次々と川に落とされてしまったと言うネズミの話もあるし、バランス感覚と群衆の後追いは別物と理解すべき。それぞれのリスクマネジメントが必要。とか。

目標が曖昧な人はリスクも良く見えないものだ。不幸に目をやらず、最初は幸福を理解することだね。