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『真の学問は筆記できるものではない。筆記できる部分は滓(かす)である。真の学問は行と行とのあいだにある。』


真の学問は筆記できるものではない。筆記できる部分は滓(かす)である。真の学問は行と行とのあいだにある。
  • よく分からない主張だ。
  • 学問とは?と聞きたくなるし、行と行って何の行?。その行が重要なら、部分的でも筆記できていることになるのではないか。
  • 言葉、文字を超える何か、ですか。それが存在することを否定しない。それをどのように伝えるか。
  • 言葉・文字では伝えきれないものが殆どで、言葉・文字にできるものは僅かだ、ということとなんだろう。
  • しかし、言い方を変えれば、その伝え難いものを明確な言葉(表現方法)で伝えることが出来るようにすることこそが学問ではあるまいか。
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